"Salon de l'Aeronautique"のある一枚から


以前目にした「1936年にある場所で撮られた一枚」に写っている機体達が少し面白かったので、ちょっとこれを記事にしておこうと思ったもの。

pic01:1936年、第15回パリ航空ショーでの屋内展示(クリックで拡大)
Photo from:http://www.smartage.pl/polskie-mysliwce-pzl-p7-p11-p24/

これは1936年にパリで行われた"Salon de l'Aeronautique"(=航空展)での展示の一角を写したものである。

たった一枚の写真に、それぞれ国も機種も異なる6機の機体がおさまっている。

どれもあまりメジャーではない、どちらかと言えばマイナー(そしてドマイナー)な機体達だ。今回はこれらを少し調べてメモとしてまとめてみようと思う。

まずは近い方から。

一番手前にあるのがポーランドの PZL.23 カラシュ。右にある高翼単葉機は同国のPZL P.24だ。

 

PZL.23は単発低翼単葉で、固定脚を持つ軽爆撃機/偵察機だ。固定脚の間に小型爆弾をずらりと並べて搭載するスタイルが特徴的。並行開発されていたPZL.43と共に、ブルガリアやルーマニアなどでも運用された。(ドイツに接収され、渡された機体もあるが)

 

P.24はP.11戦闘機がベースで、共に並行開発されていた輸出機である。1934年の前回開催時にも機体の輸出を見込んで展示しており、当時は大きな反響を得た。

後にトルコ、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリアなどが購入、及びライセンス生産権を得ており、ルーマニアではこれを一部流用した国産機IAR-80戦闘機も開発された。

この中では(恐らくは)一番成功した機体だと思われる。

左に居るFw189などと似たスタイルの双発機は、オランダのFokker G.I戦闘機だ。後にフィンランドで活躍を見せるFokker D.XXI戦闘機の翌年に開発された機体で、これよりも高い火力を持ち、また優れた速度を発揮した事から採用に至った。複座もしくは三座であり、偵察や爆撃にも使えるようになっていたのが特徴である。

P.24やPZL.23の様に、実機を見せてのセールスを行っているかのような体であるが、7カ月と言う短期間での設計・試作が終わった段階の、いまだ初飛行を終えていない状態での展示であった。(なお初飛行は翌年3月16日に行われた)

初飛行前ではあったが、この展示を見てか、スペイン、スウェーデン、ベルギー、フィンランドなど各国が興味を示した。試作機はダイブブレーキを備えていたので、急降下爆撃機としての運用を見込んでいた国もあった。

しかしながら量産はスムーズにいかず、他国へ引き渡された機体は無く、僅かな生産機もドイツ軍に破壊されてしまった。

写真では機首のカバーが外されているが、ここに収める8丁の機銃を示す為だろうか?

写真の一番奥、こちらに尾部を向けている高アスペクト比の翼を持つ大型単葉機は、ソ連のツポレフ設計局が開発したANT-25と言う機体だ。ツポレフ設計局の開発だが、設計者はパーヴェル・スホーイ氏である。(彼は当時ツポレフ設計局に居たのだ)

日本の航研機のような存在で、胴体長の2.5倍以上にもなる長大な主翼は長距離を飛ぶ為のものである。北極点を間に挟んだモスクワ-米カリフォルニア間10,148 kmを飛行するなど、いくつかの長距離飛行記録を樹立している。(※ただしソ連は国際航空連盟に加盟していなかったので、公認記録ではない。実際に飛んでいるのだし、ソ連からすれば知った事ではないだろうが)

レコードブレイカーとしての常であるが、売り込みと言うよりは、国外への技術力をアピールする為であろう。

1932年より計画が始まり、一号機は33年6月22日に初飛行。3か月後に二号機が飛行した。本格的な長距離飛行は37年からとなり、チカロフ達の飛行によりいくつもの長距離(非公認)飛行記録を打ち立てた。

後に長距離爆撃機型のDB-1が作られたが成功したとは言えず、1936年までに20機が納入されたのみで、残りの部はキャンセルされた。原型のANT-25は長距離を飛ぶ為の機体であり、速度や上昇性能等まで優れている訳ではないので当然の結果である。

その後は各種実験等に用いられたようだ。

ちなみにツポレフ設計局は1989年に博物館展示用の精巧なレプリカを製作しており、今でもその巨体を見ることができる。

また、2013年にはロシア航空史を題材とした記念硬貨の絵柄に選ばれており、重要なマイルストーンの一つとして扱われているようだ。

(ちなみに日本の航研機も青森県立三沢航空科学館に実寸大のレプリカが置かれている)

 

右奥、ダグラス機と似た形状のこちらに側面を見せている双発機は、ツポレフのANT-35と言う機体らしい。(今回調べて初めて知った機体である)双発高速旅客機として開発計画が立ち上がり、試作機の製作は1936年1月に開始、そして8月1日に完了した。

初飛行は8月20日に行われ、ツポレフ設計局のHPによれば6,620 kgで390 km/hを記録し、当時としては世界最速の旅客機の一つとなった。ただAirwar.ruでは374 km/h、飯山氏の本では372 km/hとなっている。(374km/h辺りであったとしても、DC-3より優速である事には違いないが)

11月4日にANT-35は「URSS-N035」のナンバーを受領し、モスクワ - ケーニヒスベルク - ケルン - パリを飛んだ。元々ケルンへの着陸は予定されていなかったが、右側エンジンのトラブルにより降りざるを得なかったものらしい。

無事パリに降り立ったANT-35は、写真にあるようにショーにて展示が行われた。専門家は速度など高い飛行性能を評価したが、客室の天井が低いことが指摘されたという。(わざわざこう書かれるとなると、余程低かったのだろうか)

その後、ANT-35は本格的な量産に入る予定だったが、SB爆撃機の量産が優先された為に工場は手が付けられなかった。また、胴体幅の狭さ・旅客用に設計された扉のサイズ等から輸送能力にいくらか難があり、それは勿論傑作機ダグラス DC-3とそのライセンス生産機リスーノフ Li-2の方がより優れていた。先述の通り、速度性能はANT-35が優れていたが、数十km/h程度の速度よりも輸送能力の方が優先されるのは、輸送機としては当然の事である。

結果として、試作機2機(ANT-35・ANT-35bisのプロトタイプ)と、改良を施した生産型ANT-35bis 9機、合わせて11機のみが作られた。この生産型は1937年から"PS-35"としてアエロフロートにて旅客機として運用されていた。ちなみにPSは旅客機を示す記号である。(⇒命名規則を参照)

独ソ開戦後の1941年7月(6月ともある)に軍に徴用され(何機かは不明)、DC-3やLi-2の陰に隠れながらも、連絡、VIP輸送、物資輸送、敵後方へのパラシュート兵輸送などに使われたという。

 

最後になるが、ANT-35の翼の下辺りに置かれた単葉液冷戦闘機が、ポリカルポフのI-17と呼ばれる試作高速戦闘機だ。設計局名称は第二の試作機であるTsKB-19。このモデルは降着装置を改修し、自国製のM-100を新たに搭載していた。(最初の試作機TsKB-15はBf109と同じ”ハ”の字の脚で、本家イスパノスイザエンジンを搭載)翼下分割式の冷却器やすらりとしたシルエットなど、I-15やI-16とは雰囲気がやや異なる。

各国はこの新たな戦闘機を「将来対峙しうる存在」として認識しただろうが、実際には色々な事が有って採用されず、ソ連は1940年になるまでI-15系とI-16で戦い抜く事となった。

ここに展示されていなければ、ノモンハン戦、冬戦争/継続戦争、スロヴァキアのソ連侵攻時……などなどなど、各地で居る筈の無いこの機の撃墜が記録されると言う事態は起きなかっただろう。

 

実はFokker G.IとANT-25の間に小型グライダーが1機置かれていたようであるが、上の写真では翼の一端しか見えていない。

ツポレフ設計局HPのANT-35のページにある写真で、ANT-35・ANT-25そしてグライダー機が確認出来る。

Скоростной пассажирский самолет, серийный АНТ-35 (ПС-35)

 

 

今回はここまで。

他のアングルだとまた別の機体達が写ってるので、彼女らもそのうち調べたいですね。


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=参考文献=

■『WWIIソビエト軍用機入門』, 光人社NF文庫, (2014)

P.161-164, P.173-176

■『ソビエト航空戦』, 光人社NF文庫, (2003/1999)

P.81-86, P.222-223

 

=参考ページ=

Polskie myśliwce PZL P.7, P.11 i P.24(波蘭)

http://www.smartage.pl/polskie-mysliwce-pzl-p7-p11-p24/

パリ航空ショー Wikipedia(英)

https://en.wikipedia.org/wiki/Paris_Air_Show

ツポレフ ANT-25-Wikipedia(露)

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%9D%D0%A2-25

ツポレフ ANT-35-Tupolev(露)

http://www.tupolev.ru/ant-35-ps-35

ツポレフ ANT-35(露)

http://airliner.narod.ru/airliners1935-41/ant-35.htm

スロヴァキア空軍(日)

http://mltr.ganriki.net/faq08a06t02.html

など(一部脳内メモリー)