ソ連戦闘機と風防のはなし


更新履歴 (内容に変化ないものは除く)

[2022/10/15] 字の強調を付けたり、頭や接続語を変えたり、註釈を付け加えたり。ほぼ変わりないけど。
[2020/12/12] 新規作成。

今回は30年代から40年代にかけてのソ連機の風防についてです。開放型だった風防が密閉型になるまでの話。戦後は知らんです。

 

急になんで風防の話を?と言いますと、まぁこちらです。

キャノピーあると邪魔!? 開放式操縦席の方が高評価だったイタリア戦闘機MC.200とは|乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/100273

この記事の影響ですね。「これのソ連機版を書くかー」となった感じです。それにしては肥大化しすぎてしまいましたが。

 

『風防』とか『天蓋』『キャノピー』とかは、使い分けが必要らしいんですが、今回の記事でそこは重要でないので全く気にせず書いてます。あしからず。


さて、1930年代半ばから40年の頭にかけては、戦闘機に多様な変化があった期間であった。単葉化や引き込み脚の採用など色々あるが、今回のメインは「コクピットの密閉化」である。

冒頭に掲載した記事の通り、イタリアではC.200ら『R計画』機が (一旦は) 密閉型風防を採用。他にも、ドイツではBf109、イギリスではGladiatorなど、これらが各国で最初に密閉型風防を持った主力戦闘機となった。(違ったら指摘ください)

 

では「ソ連の主力戦闘機で、最初に密閉型風防を採用した機体」は何だろうか?

恐らく3割以上の人が、1940年代の新型機MiG-1/3, LaGG-3, Yak-1のいずれかを挙げるのではないだろうか?

勿体ぶっても時間の無駄であるので、答えをさっさと書いてしまうが、これは先任である『ポリカルポフ I-16』である。

「はて、I-16は開放型風防ではなかったか?」と思われる人も居ることだろう。確かによく見るI-16は、みな開放型風防である。

それもそのはず、実はI-16はC.200と同じ『退化組』なのである。 (この退化という呼び方、書いておきながらしっくりこない……)

 

ソ連主力戦闘機の火器の変遷でも書いた通り、I-16にはいくつもの先進的な要素があった。片持ち式の単葉低翼、翼内機銃、NACAカウル、木製モノコック構造、完全引き込み式の降着装置。密閉型風防もその先進的要素の一つだったのだ。

最初に生産されたI-16 tip4 (露:тип, Type (型) のこと→[解説記事]) と一つ後のtip5は、密閉型風防を付けて生産されていたのである。

pic01 (左/上):tip5の風防を閉じた状態。変わった塗装だが、これはスペイン内戦にてナショナリスト側に捕獲、再塗装された機体。
Photo from:http://www.airwar.ru/enc/fww2/i16-5.html
pic02 (右/下):tip5の風防を開けた状態。脚には車輪の代わりにスキーを装備している。
Photo from:http://www.airwar.ru/enc/fww2/i16-5.html

上のpic01, 02を見て、人によっては既に違和感を持たれているかもしれない。実はこれはよくある「固定の正面風防」と「後方にスライドする可動部」に分かれる形式ではなく、「風防全体が一体で丸ごとスライドする」形式となっていた。そのスライドする方向というのが『前方』、つまり前に押して開けるというものだったのである。

この何ともユニークな「前に押して開く風防」、他で殆ど見ないというコトは、つまりそういうコトである。この風防はパイロットたちに大変不評であった。

 

このスタイルの風防も、機体が地上にある時であれば何も困るところはないだろう (可動部が大きいので、重かったりはするかもしれない。キ44などは後部が丸ごと動くタイプで、重くて不満が出ていたそうだ)。

だが緊急時、例えば操縦不能になった機体から脱出するという時、パイロットは一刻一秒を争う中で、強い風圧を受ける風防を前に渾身の力で押し出して、その上で脱出しなければならない。高度が低いだとか、機体がスピンしているだとか、ましてや機体が炎上してようものなら、パイロットの助かる確率は大きく低下してしまう。

また、被弾やその他の要因により風防が開かなくなるというケースもあり、これを恐れたパイロットも多かったことだろう。

 

なので、スペインでI-16 tip5に乗ったパイロットの多くは、風防を開けたまま飛ぶことにしたのである。これは上記の緊急時の脱出の困難さの他にも、風防の枠が索敵の邪魔になることや、死角を確認し辛いことなど、他国パイロットと同じような不満によるものもあった。

[開放型コクピットのI-16と撮影スマイルのパイロット Photo from:https://www.mission4today.com/index.php?name=ForumsPro&file=viewtopic&p=115754]
[開放型コクピットのI-16と撮影スマイルのパイロット Photo from:https://www.mission4today.com/index.php?name=ForumsPro&file=viewtopic&p=115754]

さらに、1937年2月、スペインで戦っているパイロットから「I-16を開放型コクピットとした方がよい」という報告が空軍司令に上げられた。試しにコクピットを開放型としたI-16 tip6が少数作られ、スペインで試験された。その結果が好評であったため、tip5は途中から開放型に改められたのである [註1] 。 これに続く主生産型―tip10, 18, 24, 29らも開放型風防で作られた。

 

ちなみに、それまでソ連は平面ガラスしか風防に使えなかったのだが、この頃曲面ガラスが使えるようになったそうで、開放型風防は曲面で構成されたものとなっている (I-16が最初に採用した機体であったのかまでは分からなかった)。

 

そんなこんなでI-16は密閉型から開放型に退化、いや『先祖返り』し、ご存じの通り後継機の登場は1940年まで待たねばならない。ソビエトのパイロットたちは40年代になるまで、開放型コクピットで空を飛んでいたのであった。


[註1]:資料によっては、開放型として生産されたI-16らをtip6としているものもあるが、I-16の生産型一覧にtip6という名前の型は存在していないという。

<1940年の新型機と風防>

ミグ、ラヴォチキン、ヤコヴレフ―1940年に登場した、これらの設計局による新型機達は、他国の主力機と同じく密閉型風防を備えていた。I-16での失敗を反省してか、MiG-3, LaGG-3, Yak-1の風防はオーソドックスな「中央可動部を後ろに下げて開く」タイプのものとなっている。

最高速度が500km/hを軽く超える1,000hp級戦闘機ともなれば、当然こういったスタイルになる。これでパイロット達もついに閉じたコクピットで飛んでくれることだろう……と思いきや、そうはならなかった。

 

問題はいくつかあった。

まず一つは、『風防の品質が悪かった』ことだ。当時ソ連で作られていた風防は、すぐに黄ばんでしまい外が見づらくなってしまうのである。黄ばむ以外にも視認性もあまり良いものでなかったようで、「ウォッカ瓶の底から覗いているような視界だ」とも言われていたようだ。これらは目視で戦う上で致命的と言わざるを得ないだろう。

 

もう一つは、先述の通り『脱出が困難となる』ことだ。緊急時の機体からの脱出に際しての手順は、一つでも少ない方が良い。故障でもして開かないともなれば一大事だ。

その他にも、他国のパイロットと同じように、「(密閉型は) 閉じ込められている感じがする」であるとか、「顔を出して死角を確認できない」だとか、そういった声も多くあったことだろう。

 

これらの不満・問題により、ある者は風防を開けたまま飛び、ある者は可動部を取っ払って開放型にして飛ぶようになってしまった。これではせっかくの新鋭機の高速性も損なわれてしまう。

pic03 (左/上):風防可動部が取り払われたLaGG-3の初期型。主脚カバーも取り払われている。
Photo from:http://www.airwar.ru/enc/fww2/lagg3.html
pic04 (右/下):レニングラード上空をパトロールする7 IAK-PVOのMiG-3たち。風防が開いているのは日頃からなのか、撮影のためなのか。
Photo from:https://naukatehnika.com/mig-3-na-frontax-vov.html

ここまで読み進めて、「風防を開けるとどれほど速度が低下するだろうか?」という疑問を浮かべている読者も居ることだろう。これは勿論機体にもよるが、おおよそ十数km/hから20km/hほどのようだ (数値は後程掲載するマニュアルを参考にしている)。

初期のソ連機の品質は低く、試作機と比べて40km/hほど遅かったこともあったというが、それに加えて20km/hも低下したとなれば、ドイツ機との優劣の差はより開いたものとなる。スペックには出ないこうしたところも、独ソ戦緒戦における損害の多さに拍車をかけていたのではないだろうか。

 

ちなみに、Yak-1, LaGG-3, MiG-3らは後ろに開くタイプの風防を有していたが、MiG-1は当初Bf109と同じ横開きタイプの風防であった。横開き風防は抵抗を減らせるので、高速性を高めることを目論んでいたのだろうが、パイロットからは不評であったことから、生産数が2桁に達する前に廃止されている。

<彼らが風防を閉じるまで>

密閉型風防にすれば不満を言い、より改良した形式としても開けて飛んでしまうのは、そのまま放置していて良い問題ではない。戦闘機の性能を十全に発揮するには、やはり彼らに風防を閉じて戦って貰わねばならない。

これらの問題に対する方策として、大きく3つが挙げられる。

 

まず1つ目は、『品質の改善』である。「すぐ黄ばむ」、そして「視認性が悪い」と言われる風防そのものの質を良くしなければ、どんなに説いたところで彼らが風防を閉めることはない。

残念ながら具体的な品質改善の時期や、改善状況の推移についての情報を得ることは出来なかった。ただ、3名ほどインタビューで触れているものがあり、これからぼんやりと分かるかもしれない。

 

まず、イヴァン・コジェミャコ氏へのインタビューにて、これに直接的に触れたものがあった。氏曰く「1943年末以降に改善された」と答えている。具体的な時期を示しているが、主観的な話なのでまだこの情報だけで断定することは出来ない。

次に1943年8月に飛行学校を卒業し、前線に送られたというドミトリー・アレクセーエフ氏。43年半ばを過ぎてからと、だいぶ後期からとなる氏だが、インタビュワーの「プレキシガラスの透明度は悪かったか?」という問いに、「ガラスの透明度は問題なかった」と答えている (ただし「ガラスが陽光を反射してギラつく」という欠点を挙げており、これはもしかしたら質の悪さから来るものかもしれない)。

また、同年10月から実戦に参加したベネディクト・カルドポルツェフ氏のインタビューにおいて、風防を開けて飛んでいたかを問われた際に、「キャノピーは常に閉じていた」と答えており、また視認性に難があったとも答えていない。

 

先にも書いた通り、コジェミャコ氏の「43年末以降」という証言は具体的ではあるものの、品質の改善と連隊への到着にタイムラグがあるであろうことや、機種・工場によっても差があるのではないか等の懸念もある。機材の更新タイミング、優先度は様々な要因 (親衛連隊は新鋭機が優先配備されるとか) が絡むものだ。

43年半ばを過ぎて実戦に参加した後の2名が、特に風防への不満を出していないことを踏まえると、もう少し早い時期に改善があったのではないか?という感じがしている。後述の他の改善も考えれば、おおよそ1943年半ばと考えてよいとも思う。

 

更に早い時期での改善については、LaGG-3の風防の話を見つけることが出来た。この機体の初期型の風防はニトロセルロース製、つまるところセルロイドであったと言い、これは日光にさらされるとすぐ黄ばんでいったという。LaGG-3の初期型が目立って風防可動部を取り外しているのは、これが原因とする資料があった。改善の一環として、LaGGは生産の途中でセルロイドからプレキシガラスに置き換えられ、またLa-5の方は最初からプレキシガラスであったそうだ。

 

YakやMiGがどうであったかは、今回の調査でエピソード等を拾うことは出来なかった。『Yakovlev Fighters of World War II』では、「Yak-1の風防は全てプレキシガラスであった」と言うが、あるサイトにおいては「Yak-7Bの可動部はセルロイドですぐ黄ばみ、閉じていられなかった」という情報もあり、判然としない。Yak-1とYak-7では確かに機種は異なるが、同時並行で開発・生産されていた姉妹機である。異なることがあるのだろうか?

また、MiG-3の方はこうした情報を得ることすら出来ていない。今後得られた際には、改めて追記等しようと思う。

[Yak-9の技術マニュアルに掲載されている風防周りの図。図中の2が緊急投棄用の球で、これを引くと投棄される]
[Yak-9の技術マニュアルに掲載されている風防周りの図。図中の2が緊急投棄用の球で、これを引くと投棄される]

2つ目は『風防の緊急投棄機構の実装』である。密閉型風防の不満の一つである「緊急時の脱出の困難さ」への対応として、他国主力機でも順次実装されていった風防可動部を投棄する機構を備えるようになった。

こちらはパイロットにとって、1つ目より重大な問題であった。確かに目視による戦いで外が見づらいのは、空戦において致命的である。だが、こちらはそれより直接的にパイロットの生還率に響くものだ。

実際、「被弾や不時着等によって風防が歪み、開かなくなった」という経験をしたという話は、珍しいものでもない。そうした経験をした結果、常に風防を開けたまま飛んでいたという者や、極端な例ではアルセニー・ボロジェイキン氏 (個人51、協同14撃墜のエース) のように、風防可動部自体を取り払ってしまっていたという者も居る。

 

本題の実装の話に入ろう。Yakシリーズで最初に実装されたのは、1942年10月に生産が始まったYak-9からだと思われる。Yak-9はYak-1bと似た突出型風防 (水滴型風防) を最初から備えており、これの中央可動部は緊急時に投棄が可能であったという。

pic05:Yak-3のフライトマニュアルに記載された、風防の緊急投棄の様子。留め具からワイヤーを外し、赤い球を勢いよく手元に引くとロックが外れ飛んでいくということが分かる。

その後、Yak-9の登場後も生産が続けられていたYak-7Bにも、Yak-9の突出型風防と緊急投棄機構がフィードバックされ標準装備となったらしい。

事情は分からないがYak-1への緊急投棄機構の実装は遅く、43年10月からだという。また、当然ながら、1944年に登場したYak-3はこの機構を標準的に装備していた。

 

Laシリーズでは、La-5FNから実装されたという。LaシリーズはLa-5Fにて一体型 (ファストバック型) だった風防を一新し、突出型に様変わりしたが、この時点ではまだ緊急投棄は出来なかった。La-5FNになって風防可動部とレイルを再設計したことで、緊急投棄が可能となった。外見的にも僅かながら違いがあるようで、可動部と後部固定部に段差が生まれ、レイルの形状も異なるとのことだった。

La-5FNから実装とのことなので、1944年に現れたLa-7にも標準装備となっている。

そして最後が、『教育と指導』である。「品質は改善したし、緊急時には風防を投棄できるようにした。もう諸君らが開けて飛ぶ理由はないだろう」ということで、パイロットに風防を閉じることの大切さを周知させ、きちんと閉じることを促す試みのことだ。

そしてこちらについても大変申し訳ないが、現状それらに関する話は殆ど拾うことが出来ていない。パイロットのインタビューなどで、「風防を閉じなさい」という命令的なものがあったといった話は見かけるのだが、その具体的な内容を見つけることが出来なかった。

 

幸いにも教育に関しては、例を見つけることが出来た。それはフライトマニュアルの記載である。風防を閉じないとどうなるか、『具体的なパフォーマンスの低下』に関する情報を記載することで、パイロットに数字をもって周知し、風防を閉じて飛ぶよう促したのである。

文字列で説明するより一目見る方が早いので、次の画像を見て頂きたい。

pic06 (左/上):La-5FNのフライトマニュアル (1944)に掲載されているイラスト。風防やフラップなど、気を付けなければどれだけ低下するかを分かりやすく示している。
pic07 (右/下):Yak-3のフライトマニュアルに掲載されているイラスト。離陸前の手順で、横には「風防を閉じよ」と警告文が書かれていた (後述の抜粋文を参照) 。

上の画像―pic06は、1944年に作られたLa-5FNのフライトマニュアルに掲載されていたものである。デフォルメ気味のLa-5をもとに、「機体各部を無頓着に操作していると、これだけ速度低下が発生するぞ」ということを示している。これによれば、機首側面のカウルフラップと下部オイルクーラーで45~50km/h、尾輪で8~10km/h [註2]、フラップで18~20km/h、風防で15~18km/h低下するとしている。

 

La-5FNでは上記の様に風防以外の部位も記載があったが、Yak-3の方はよりシンプルなものになっている。上にpic07として掲載したものは、Yak-3のフライトマニュアル中の離陸直前のページに掲載されていたもので、滑走前に風防を閉じるよう指示がされている。そして横には以下のような警告文が添えられていた。原文と簡単な訳を併記しておく。

Предупреждение!!!
Все элементы полета, кроме посадки, выполнять с закрытым фонарем кабины, так как при закрытом фонаре уменьшается шум на 30%, увеличивается максимальная скорость полета на 15-20 км/ч и улучшаются другие данные самолета: скороподъемность, дальность полета.
警告!!!
キャノピーを閉じると、騒音が30%軽減され、最大速度が15~20km/h向上し、その他の性能 (上昇率、航続距離) が改善されるため、着陸時を除き、キャノピーは閉じた状態で飛行すること。
(だいぶ適当な訳なので参考程度に)

「風防を閉じないと……」というより、「閉じればこうしたメリットがある」という風ではあるが、言わんとしていることは同じだ。閉じなければこれだけパフォーマンスが低下する、不利になると書いている。

少し面白いのが、騒音 (ノイズ) が軽減されると書いているところだ。速度は併記されているものの、風圧やコクピット内温度より、ノイズが軽減されることを書いている。30%と具体的な数字もあるが、実際に測定したのだろうか?

 

今回記事内に掲載していないが、Yak-9のマニュアルにもLa-5FNの様に風防や冷却器、フラップなどの不適切な使用による速度低下を示した図があった事を確認している。 

いつからこうしたものが記載され始めたかは分からないが、少なくとも1944年に出されたものには確認が出来た。これ以前のマニュアルはまだ手に入っていないので、手に入り次第それらも確認するつもりだ。


[註2]:尾輪だけを出し入れする事は出来ないと思うので、固定化した時の話だろうか? ソ連機はしばしば前線で尾輪を固定化されている機体が見られる。

品質改善、緊急投棄機構の実装、そしてパイロットへの周知による意識改善もあり、次第に戦闘機パイロット達は風防を閉じて飛ぶようになっていった。

最初は30年代にI-16で試みられ、40年にようやく標準装備となった密閉型風防であるが、真の意味で密閉型への移行が完了したと言えるのは、こうしてパイロットらが風防を閉じるようになった時なのではないだろうか。

 

こうした「元々密閉型風防であったのに開放型に変更された」「密閉型でありながら風防を開けて飛んでいた時期があった」という話は、何もソビエトだけの話ではない。冒頭の記事にある通り、イタリアも同様であったし、日本でも「巡行中は閉じているが、空戦に入ると索敵の邪魔なので開ける」というのが当たり前な時期もあった。マニュアルに「飛行中は風防を閉じること」と書かれていたという話もある。

風防に使われるガラスの品質向上と、緊急投棄機構の実装が済むまでは、どこもおおよそ同じような状態であったことだろう。

 

そんな感じで、ソ連における開放型から密閉型への移行の話でした。

未確認情報、調査中の情報も、後日分かり次第追記予定です。追加したら改めてお知らせします。たぶん。

Special Thanks★

灰星氏:コジェミャコ氏の対談について、以前頂きました情報の方を参考にさせて頂きました。

たい氏:ボロジェイキン氏のエピソード、及びYak-1への緊急投棄装置実装についての情報を頂きました。

 

ありがとうございました!


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コメント: 2
  • #1

    コスタリカ (土曜日, 12 12月 2020 22:37)

    かなり奥深いところまで書いていただいていたので楽しめました!

  • #2

    特型はA砲塔 (金曜日, 26 4月 2024 22:49)

    i-16密閉式と開放式の両方の写真見た記憶があってどっちかなぁと思ってたのですっきりしました


<参考リスト>

=書籍=

■『Polikarpov Fighters In Action Pt.2』, Squadron/signal publications, (1996)

p. 20

■『第二次大戦のP-39エアラコブラエース』, 大日本絵画, (2003)

p. 52, 55

■『世界の傑作機 No.133 ポリカルポフ I-16』, 文林堂, (2009)

p. 24, 39, 59

■『世界の傑作機 No.138 WWII ヤコヴレフ戦闘機』, 文林堂,(2010)

p. 79

■『世界の傑作機 No.156 第二次大戦ミグ戦闘機』, 文林堂, (2013)

p. 28

■『世界の傑作機 No.143 ラヴォチキン戦闘機』, 文林堂, (2011)

p. 12

■『ソビエト航空戦』, 光人社NF文庫, (2003/1999)

pp. 163-164, p. 194

■『Yakovlev Fighters of World War II』, Hikoki Publications, (2015)

p. 109, 111, 212, 257

■『Lavochkin Fighters of the Second World War』(Kindle版), Jason Nicholas Moore, Fonthill Media, (2016)

 

=Web=

◆Ворожейкин Арсений Васильевич (露:ヴォロジェイキン氏について)

http://airaces.narod.ru/mongol/vorojeyk.htm

 

◆Benedikt Ilyich Kardopoltsev (英:カルドポルツェフ氏へのインタビュー)

https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/pilots/kardopoltsev/kardopoltsev.htm

Memo: 『Lavochikin Fighters of the Second World War』に収録されているものと同じだった。

 

◆Летчики о самолетах. Алексеев Дмитрий Алексеевич. (露:アレクセーエフ氏へのインタビュー)

https://airpages.ru/ru/aleks.shtml

 

◆Интервью с И.И.Кожемяко (露:コジェミャコ氏へのインタビュー)

http://www.airforce.ru/history/ww2/kozhemjako/index.htm
Memo:風防についての記述は、2章 『Фронт. Як-7Б』にアリ。