ミグの試作戦闘機 I-220シリーズ


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ミコヤンとグレヴィッチによる設計局は、戦中に高高度向け戦闘機MiG-3を生産していたが、他にも多くの試作機を設計・開発していた。またその中にはMiG-3の後継として始まったプロジェクトも複数あり、今回取り扱うのはその中でも本命として進められていたものである。

◆I-220 ≪A≫

MiG-11とも呼ばれる戦闘機の開発プロジェクトは、OKB-155にて1941年7月に始まった。I-220はMiG-3の後継とすべく開発された機体であり、派生型や改良型ではなく新規設計の戦闘機であった。

初期の計画における試算では、AM-37エンジンを装備し、7,600mで680km/hを発揮し、5,000mまで5.3分で上昇するというものとなっていた。

武装は12.7mm口径同調付きのUBS機銃(200発)2丁とShVAK 20mm機銃(150発)2門が想定されていた。装備箇所はそれぞれ機首側面下部(UBS)と主翼内(ShVAK)となっており、これは夜間での運用時に発射炎で目が眩んでしまう事を防止する為の配慮だった。

1942年3月10日、AM-37の開発が中止となった事から、新たにエンジンをAM-39と定め、同時に計画も各部で修正が行われた。MiG-11プロジェクトは6月27日に承認を受け、8月20日には試作も承認された。工場にて開発コード≪A≫と試作名称”I-220”を受領し、初飛行に向け準備を開始したが、肝心のAM-39が今だ開発中であり、I-220用の分が用意できない為、一時的にAM-38Fを搭載する事となった。

I-220の構造は、当時の主力戦闘機らと同じく、木金混合となっていた。胴体に関しては、MiG-3では胴体後部が木製であったが、I-220ではエンジン取り付け位置より後ろを木製のセミモノコック構造としており、木製部の割合が増えていた。一方で翼構造は、中央翼が金属、外翼が木製とMiG-3と同じ形態を採っている。加えて、木製外翼部の前縁には自動スラットが設けられていた。(MiG-3の構造に関しては⇒こちら

他にMiG-3と異なるのは、新たに層流翼を採用していた事と、インテークを中央翼前縁に備えていた事だった。後者は速度性能の追求の為、突出部を減らすための措置だった。オイルクーラーの出口は中央下部、冷却器の方は翼上面に備えられていた。

プロペラは直径3.2mのAV-5L-126A。武装は2門のShVAK(各150発)を機首に同調式で備えていた。

I-220試作戦闘機 MiG-3等より突出部が少なく、スマートに仕上がっている
I-220試作戦闘機 MiG-3等より突出部が少なく、スマートに仕上がっている

最初の試作1号機は1942年9月に完成し、工場出荷時試験を合格後の11月20日に地上試験を行った。この際チーフエンジニアにA. G. Brunov、テストパイロットにA. I. Zhukovが任命された。

AM-38Fエンジンは1943年1月8日に装着されたが、翼中央部などの各部改修が2月1日まで続けられた。その後の試験では、高度7,000mで630km/hを発揮したが、実用上昇限度は9,500mであり、これはJu86が飛行する高度よりも2,500m低いものとなった。

1943年4月には本来の仕様であるAM-39エンジンへと換装され、5月25日に初飛行が行われた。試験では2700 mで614km/h、7800 mで697km/hを記録。上昇力は高度5,000 mまで4.5分、8,000 mまで8.2分であった。

1943年8月21日にI-220は事故を起こしテストは中断された。着陸時に左側主脚が出ず、A. I. Zhukovは何度か出るよう操作を繰り返したが、正しく動作しなかった。その為今度は不時着に右主脚を格納させることとし、こちらはどうにか成功した。これにより機体のダメージは最小限に抑えられ、機体は修理に送られた。

ソ連は重要都市上空の遥かに高い高度より飛来する偵察機群に打つ手がない事から、当機の戦力化が急がれた。しかしながら試験は完了しておらず、機体もいまだ改良の余地があった。飛行中のトラブルに繋がる設計上の欠陥として、下部からのオイル漏れやオーバーヒートなどの問題もあった。その為9月27日にはAM-39エンジンを再びAM-38Fに置き換える指示が下されている。

AM-38Fの再搭載は10月1日に完了した。しかしその次の日の試験にて再び事故を起こしてしまった。1944年3月、さらにまたAM-39を再搭載し、開発が進められているという。

一方でI-220試作2号機の製造も進められており、こちらは1944年初めに完成した。始めからAM-39が搭載され、武装も4門のShVAK 20mm機関砲を備えていたという。(機首上部2門、側面下部にそれぞれ1門ずつらしいが、写真からは確認が出来ない)1号機で洗い出された欠陥も解消され、大量生産に向けたものであった。

チーフエンジニアにA. S. Rozanova、テストパイロットにP. M. Stefanovskogoが選ばれた。試験では高度7,000mで697km/hを記録し、上昇率は22m/secであった。しかしここまで来ても実用上昇限度は11,000mであり、これはいまだJu86より1,000m低いものだった。

 

この性能はいまだ満足できないものであり、またAM-39エンジンの信頼性の欠如を問題とし、結果としてI-220開発計画は中止となった。なお試作2号機は後述のI-225に半ば開発が引き継がれている。

◆ I-221 ≪2А≫

1943年6月12日、航空産業人民委員部(NKAP、露:НКАП)から、 「開発中の高高度戦闘機は、モスクワ上空に飛来する高高度偵察機の飛行高度13,000-14,000mに到達可能とすべし」 との命令が下った。しかし開発中のI-220は先述の通り、この高度に到達出来ていない状態にあった。(最初の時点ではあくまで迎撃機であり、本格的な高高度迎撃機ではなかったのもあるが)新たな改修が必要となった。

OKB-155はこの事態に対し、I-220にいくつかの改修を施す事で対処する事とした。

まず初めに主翼を左右1mずつ延長し(全幅11.00m→13.00m)、TK-2Bターボ過給機2基を機体両側に搭載することで高高度性能を高める事を目論んだ。この新たな戦闘機プロジェクトはコード≪2A≫、試作名称I-221が割り当てられた。

 

I-220との違いは、先の翼の延長、ターボ過給機の実装の他にもあり、AM-39Aの減速比を0.732から0.59へ減少、またプロペラはAV-9系列4枚翅(直径3.5m)の物に換装したと言われている。(私自身確認は出来ていない)

武装はI-220の1号機同様、ShVAK 2門(各100発)を機首側面下部に備えていた。

設計時の試算では、これらの改修によって高度12,500 mにて最高速度685km/hを発揮し、実用上昇限度は15,000 m、22分で14,000mに到達するものとしていた。

開発は早くに始まったが、エンジンの納期遅れによって完成は1943年の10月28日にまでずれ込んだ。武装の発射試験の後、11月5日に第115工場に移動した。初飛行は11月22日を予定していたが、地上試験中のタキシング時に主脚にトラブルを起こした為延期となった。この時の修理が完了した後、12月2日に初飛行を行った。

 

その後も試験を続け、1944年2月7日にパイロットP. A. Zhuravlevymによる高高度試験が行われた。高度9,000 mを飛行中に機体が出火し墜落、機体は完全に失われてしまった。パイロットはパラシュートにて脱出し生還している。

この喪失によりI-221の開発は終了、高高度戦闘機開発は後続の機体引き継がれている。

 

I-221は早期に失われた為か、写真は残っていないようである。

◆I-222 ≪3А≫

I-221を与圧キャビンとした改良型がI-222である。開発コードは≪3A≫で、資料によってはMiG-7とされているものもあるが、実際にそうであったかは不明。(本当にMiG-7であったとすれば、何故I-220のMiG-11から数字が遡っているのだろう?)

I-222試作高高度戦闘機 画像は三枚翅プロペラ装備時のもの
I-222試作高高度戦闘機 画像は三枚翅プロペラ装備時のもの

AM-39B-1エンジン(1,760hp)を搭載し、機首にはTK-2Bターボ過給機を備えていた。これは資料によって「左側面にのみ備えられた」というものと、「両側にあった」とするものがある。

胴体下部からはターボ過給機で圧縮された熱い空気を冷却するインタークーラー(中間冷却器)が備えられている。I-221も同様であった可能性があるが、実機の写真を確認できていない為不明である。

外見上の大きな違いは風防と胴体後部の形状で、コクピット後部をラヴォチキン La-5Fの様に少し下げる形とすることで視認性を向上させていた。コクピット内には防弾ガラスと防弾鋼板が備えられていたとされている。これより以前のI-220/221でこれらを備えていたかは不明。

当初はAV-5L系列の3枚翅プロペラが装備されていたが、後に高高度向けの4枚翅プロペラAV-9L-230に換装されている。

I-222は1944年4月28日に第155工場へ移され、5月7日に初飛行を行った。7月26日から8月9日にかけてはTsAGIにて風洞試験が行われた。

同機のプロペラを4枚翅とした状態のもの
同機のプロペラを4枚翅とした状態のもの

試験においてI-222はJu86R-1が飛行する11,300mに到達した。またある日の飛行では12,000mまで飛行したが、この高度ではエンジンが正常に動作しなくなっていた。

エンジンは一度工場に戻され、再び装備されたのは1945年7月になってのこと、また油圧系の不調により再飛行にはさらに時間を要していた。

 

より発展したI-224やI-225が進んでいた事もあり、I-222プロジェクトは1945年夏以降段階的に廃止されていった。

◆I-224 ≪4А≫

ミグ設計局最後の試作高高度戦闘機がI-224、開発コード≪4A≫である。

これはI-222をより強化したもので、いくつかの改修点があった。まず新型のターボ過給機TK-300Bを右舷側に装備。エンジンはAM-39FBに換装し、プロペラもI-222の物からさらに幅の広いAV-9L-26B(直径3.5m、ブレード幅400mm)を装備している。武装もShVAKから新型でより軽量な20mm機関砲B-20(各100発)へ置き換わった。

最後の試作高高度戦闘機であるI-224 幅の広いプロペラが特徴的
最後の試作高高度戦闘機であるI-224 幅の広いプロペラが特徴的

1944年10月20日(9月16日とも)に初飛行。先述の改良により、I-224は高度14,500 mで691km/hを記録するなど、I-220を始めとするシリーズの中で最も優れた高高度性能を発揮している。

しかしながら、その後の試験時にエンジンの不調から緊急着陸を余儀なくされ、その時の損傷により修理が必要とされた。

この間にAM-39FBを燃料直噴射式のAM-44へと置き換える事を決定し、1946年7月31日にエンジンを受け取ったが、これを搭載しての試験に入ることは出来なかった。

 

最終的に1946年11月30日の決議によって、I-224の開発は完全に破棄された。

◆I-225 ≪5А≫

I-220の2号機をもとに、TK-300Bターボ過給機を取り付けるなどの改修を施したもの。I-221らのような高高度戦闘機ではなく、迎撃機として開発が進められており、翼は原型のI-220と同じ物を使用している。

I-225試作迎撃機 インタークーラーはI-224と比べて小さくなっている
I-225試作迎撃機 インタークーラーはI-224と比べて小さくなっている

エンジンはIl-10襲撃機が搭載する物と同系列の高出力エンジンAM-42B(2,000hp)を搭載、プロペラは3枚翅のAV-5LV-22A(直径3.6 m)に置き換えられた。3.6mというのはソ連の単発戦闘機としてはかなり大型な部類である。(Yak-1/LaGG-3は3.0m、La系列でも3.1mほど)

胴体下部に突き出たインタークーラーはI-224の物よりもさらに小型化されていた。

パイロット保護としては、64 mm厚の防弾ガラスと、9 mm厚の防弾鋼板を座席後方に備えていたという。

 

I-225はI-224よりも5か月早い1944年7月21日に初飛行した。8月7日には高度8,500 mにて707km/hを記録。上昇レートは18.5m/secであった。

1944年8月9日の試験飛行時、高度7,000~7,500mを全力飛行中にエンジンが出火、機体は火に包まれた。パイロットのA.P.Yakimovは手と顔に火傷を負いながらも、高度1,500~2,000 m付近で脱出し生還したが、機体は完全に失われた。 

試作2号機は1945年2月20日に完成した。当初AM-43エンジンを搭載する予定だったが、未完成だったためにAM-42FB(2,200 hp)を搭載した。プロペラは三枚翅のAV-5LV-22Vであり、ターボチャージャーも新型のAMTK-1Aに換装された。

1945年3月14日に高度10,000 mにて1号機を上回る726km/hを記録した。これはYak-3 VK-108搭載型の次に高い値であり、ソ連のレシプロ戦闘機の中で2番目に速い記録である。

1945年4月26日に行われた16回目の試験飛行時、離陸の際に右着陸脚が故障。機体は滑走路を外れ、咄嗟にパイロットはスロットルを閉じたが、慣性で機体は180度回転した後に停止した。これにより尾部などを損傷、修理が必要となった。

1945年10月30日に修理が完了、採用試験飛行を行うが、今度は過給機が不調で延期となった。

 

その後も開発と試験は続けられたが、ジェット機の実用化の目途が立った事などもあり、1947年3月11日にI-225の開発計画は破棄された。 


こうしてMiG-3の後継を目指した機体の夢は潰えた。

とはいえ、戦後はドイツから入手したジェット技術に皆目が向いていただろうし、当のミグはこの後に主力ジェット戦闘機の座を勝ち取るのだから、仕方のない終わり方であるのかもしれない。

 

ミグの高空を目指した戦闘機達の話は以上である。


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<参考リスト>

=書籍=

■世界の傑作機 No.156 第二次大戦ミグ戦闘機, 文林堂, (2013)

P.23-24

■Early MiG Fighters In Action

P.24, 27-29

 

=Web=

◆Высотные истребители-перехватчики И-220 - И-225. СССР

http://alternathistory.com/vysotnye-istrebiteli-perekhvatchiki-i-220-i-225-sssr

 

Airwar.ru “I-220, 221, 222, 224, 225”

http://airwar.ru/enc/fww2/i220.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i221.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i222.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i224.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i225.html

 

=画像出典=

□Airwar.ru “I-220, 221, 222, 224, 225”

http://airwar.ru/enc/fww2/i220.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i221.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i222.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i224.html

http://airwar.ru/enc/fww2/i225.html