ルーマニアのI-16とMiG-3


更新履歴 (内容に変化ないものは除く)

[2021/01/30] In Actionやルーマニア空軍エースを元に記事をアップデート
[2017/08/16] 記事公開

今回はルーマニアです。あの国のIAR-80は結構好きですね。

フィンランドの様な運用は無いですが、いくつか面白いネタがあったので、記事にしてみました。

 

戦中のみなので記事は短め。


1941年、ルーマニアは枢軸国側に立って参戦。ルーマニア王国空軍 (Aeronautica Regală Română, 以下ARRとする) はソ連軍へ攻撃を開始した。

 

この戦いにおいてARRは複数のソ連機を手に入れているらしく、そのうちの2機を飛行可能な状態とし、運用していたという。今回はこれらの機体について取り扱う。

 ◆ポリカルポフ I-16

1941年7月8日、モルダビアのドロホイ (Dorohoi) にて1機のソ連製戦闘機が捕獲された。これはポリカルポフ設計局のI-16戦闘機で、型は最終生産モデルであるtip29(type29)であった。

機体は分解されたのち、ボトシャニ (Botosani) へと輸送することが命じられ、現地で再び組み上げられた。この作業は第19偵察飛行隊 (Escadrila 19 Observatie) の地上作業員によって行われた。組み立て後は、同飛行隊のパイロットであるゲオルゲ・ポペスク-チオカネル大尉 [註1] の手で試験飛行がなされ、彼は飛行後にその並外れた機動性 (extraordinary maneuverability) を高く評価したという。

ARRに捕獲されたI-16 リペイント済み
ARRに捕獲されたI-16 リペイント済み

ARRのもとで行われた変更は、識別用の塗装を描き加えたくらいであり、ARRが運用する機体とほぼ同様のスタイルで再塗装がなされていた。翼と胴体に特徴的な国識別標識を、翼端や胴には黄色の帯を描き加え、ラダーはルーマニアの国旗のカラーに塗られた。垂直尾翼には、白色で「1」とマーキングされていたが、これは飛行可能な鹵獲機としては1機目だったためだそうだ。

 

その後この機体は、試験飛行を行ったチオカネル氏の発案で、第19偵察飛行隊のIAR-39の乗員を訓練するために使用された。この飛行隊は開戦後から幾度もI-16と交戦しており、2機を失っていたという事もあったのだろう。I-16に無線機 (ARR標準のもの?) を搭載し、IAR-39の防御行動の敵機役を務めた。

 

1941年9月初旬、さらなる訓練を行うべく、IAR-80を装備する戦闘航空群 (Grupul Vinatoare) への移管が決定された。9月11日、Ivancioviciという中尉 (特定出来ず) の手でボトシャニからブザウ (Buzau) へのフェリー飛行が行われた。離陸とフェリー中は問題無かったが、ヤシ飛行場へ降り立つ際に主脚が損傷し、機体に甚大な被害 (seriously damaged) を受けた。これにより当機は飛行不能、修理も困難だったのか廃棄された。

参考としたサイトなどによっては、「IAR-80との模擬戦後の着陸で大破」としているものもあった。

どちらにせよ、このI-16は9月11日に失われてしまったという事と、ARRのパイロットの実戦的な訓練に用いられた事には変わりないだろう。

 

なおルーマニア軍は他にも十数機もの飛行可能なI-16を鹵獲していたようだが、この機体以外にそういったエピソードは見つかっていない。戦況などを考えれば、このように実際の敵機を用いて訓練を行ったという方が珍しいものだったのだろう。

ルーマニアのI-16については以上である。


[註1]:第9戦闘飛行隊のパイロットで、出撃200回以上、空戦40回以上、確実撃墜13、不確実1、19のスコア (ARR方式) を持つエース。1941年は偵察飛行隊のパイロットだったが、後に戦闘機乗りとなった。1944年7月26日に被撃墜で大火傷を負い、8月12日に病院で死亡した。I-16を飛ばした際には、まだ偵察機乗りだったということになる。

◆ミコヤン・グレヴィッチ MiG-3

あるソ連軍所属のウクライナ人パイロットが亡命を考え、ある日ついに実行に移った。1941年12月3日、彼のMiG-3はクリミア半島のペレコプを飛び立ち、ルーマニア軍の占領地メリトポリ (Meltiopol) へ向かった。亡命パイロットは彼がよく知る元ソ連軍基地を発見。主脚を降ろし滑走路へ進入、何事も無く着陸、そして恐らく手近な待避所へタキシングを行っていたのだろう。

一方基地のルーマニア人達は、降りてくるのは自国の航空機であると信じており、誰も全く気にも留めていなかった。誰かがふとその機を見た時だろうか、それとも地上作業員が機体に近づこうとした時だろうか。まさか自分たちの居る飛行場に、赤い星が描き込まれた機体がいるとは思っていなかった彼らは、唖然としたという。

本に記述されていたのはここまでであり、ウクライナ人パイロットがその後どうなったかは分からなかった。

ARRのもとに舞い込んだMiG-3 外見特徴的に初期型であると思われる
ARRのもとに舞い込んだMiG-3 外見特徴的に初期型であると思われる

ともあれ、接収されたMiG-3は、ルーマニアの航空産業の中心であるIAR社 (Industria Aeronautică Română) があるブラショフ (Brasov) へ空輸される事となった。この空輸には2機のIAR-80 戦闘機が護衛についたという。前項のI-16との扱いの違いは、やはりこの機体が未知の新鋭機であったためだろう。

空輸後、IARの技術者と専門家たちは試験を行った。MiG-3は何名かのARRの著名なパイロット達の手によって飛行したが、その中にはかのトップエースの一人である、コンスタンティン・M・カンタクジノ [註2] も含まれていた。彼らがこの機体についてどのような印象を持ったのかは、見つけられなかった。

試験を終えた後は、第19偵察飛行隊に引き渡された。詳細な話は見つからなかったが、1942年から1943年にかけて、同飛行隊でかつて使われていたI-16と同じく、敵機役として訓練に使用されたという。

側面からの撮影 機首の一部パネルが外され、弾薬箱が抜き取られている状態のようだ
側面からの撮影 機首の一部パネルが外され、弾薬箱が抜き取られている状態のようだ

前縁スラットが無いなどの特徴から、前期生産型と思われる。アンテナが装備されているが、写真を見るにソ連製の無線機は搭載されていないようだ。

MiG-3もI-16と同様ルーマニア空軍の塗装が施された。翼端の広い範囲を黄色で塗装しており、また胴体後部にも黄色の帯が付けられている。プロペラは正面が銀色、裏側の付け根の付近を除いた部分は黒で塗装されていた。

尾翼に描かれた大きな「2」は、I-16に続く2機目の鹵獲飛行機である事を表す。またその上に小さく描かれた「E.19」は、第19偵察飛行隊―"Escadrila de Observatie 19"の略である。

1944年8月23日に始まったクーデターにより、ルーマニアはドイツとの同盟を破棄、連合軍と講和した。それによりソ連との関係が確立されたことで、彼らは『清算』を行う必要があった。ARRは鹵獲していたソ連機を元の持ち主に返還する事となり、この時まで残っていたMiG-3も9月の初めに引き渡された。

ソ連に返還された後の消息は不明である。当時MiG-3は極東方面にいくらかが配備されていたが、初期生産型のMiG-3をそこまで送ることはあまり考えられないので、処分されたのではないかと思う。[独自研究]

 

『世界の傑作機 第二次大戦ミグ戦闘機』には、白で「3」とマーキングされたMiG-3の塗装図が掲載されているが、E.19の白の2以外のエピソードは現時点では見つけられていない。詳細は不明である。

ルーマニアのMiG-3については以上だ。


[註2]:ルーマニア空軍のトップエースの一人。56のスコアを持つ。撃墜数ではシェルバネスクがトップとなり、ARR式のスコアではこちらがトップとなる。なおMiG-3のテストをした当時は軍を離れており、ルーマニア国営航空会社『LARES』(現:タロム航空) で国内線・国際線の旅客輸送を行っていた時だった。後に軍に復帰、大エースとなる。

戦中におけるルーマニアでの運用については以上である。

筆者の調査では、今のところI-16とMiG-3の2機2機種の運用についてのエピソード以外には見つかっていないが、他にも手に入れた機体の話があれば追加予定だ。


【他国に渡ったソ連機】シリーズ

第1回:フィンランドのLaGG-3
第2回:ルーマニアのI-16とMiG-3 (本記事)
第3回:チェコスロヴァキアのソ連機


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【参考文献】

■『Polikarpov Fighters In Action Pt.2』, Squadron/signal publications (1996):P.46

■『Early MiG Fighters In Action』, Squadron/signal publications (2006):P.20, 21

■『第二次大戦のルーマニア空軍のエース』デーネシュ・ベルナード, 大日本絵画, (2004):P.73, 86

■『世界の傑作機 No.156 第二次大戦ミグ戦闘機』, 文林堂, (2013):P.61

■『世界の傑作機 No.133 ポリカルポフ I-16』, 文林堂, (2009):P.16

■『弱小空軍の戦い方』飯山幸伸, 光人社NF文庫, (2007):P.72

 

【参考ページ】

◆Эксплуатация трофеев и небольших партий (露:2022/01/20アクセス)

http://i16fighter.aviaskins.com/operational-history/captured-minor.htm

◆I-16の塗装図-WINGS PALETTE(英)

http://wp.scn.ru/en/ww2/f/317/12/0

◆I-16の各国での運用(露)

http://i16fighter.aviaskins.com/operational-history/captured-minor.htm

◆ルーマニアのMiG-3 (リンク切れ)

http://mig3.sovietwarplanes.com/mig3/ruman2.html

◆Rumanian 2 (英:2022/01/20アクセス)

https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/mig3/rumanian/ruman2a.html

https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/mig3/rumanian/ruman2b.html

 

【おまけ】

IL-2 sturmovik 1946用 鹵獲MiG-3スキン

http://www.mission4today.com/index.php?name=Downloads2&file=details&id=5666

貴重なスキンです。ありがたや (´・ω・`) なむなむ